ストーリー
Story
怪しげな男、曽根崎慎司は、警察では手に余る名状しがたき怪事件を請け負う『怪異の掃除人』だ。
そんな彼のもとでアルバイトをする竹田景清も、不可解な事件に巻き込まれていく。
街中で見つかるちぎれた小指。吸えば溺死する漆黒のタバコ。体の一部が食われる夢。
そして、生ける炎を信仰するカルト教団。
狂気に呑み込まれてしまえば、終わり。闇の底から這い寄る怪異に立ち向かう、ホラーサスペンス開幕。
カバーイラスト
斎賀時人
Story
怪しげな男、曽根崎慎司は、警察では手に余る名状しがたき怪事件を請け負う『怪異の掃除人』だ。
そんな彼のもとでアルバイトをする竹田景清も、不可解な事件に巻き込まれていく。
街中で見つかるちぎれた小指。吸えば溺死する漆黒のタバコ。体の一部が食われる夢。
そして、生ける炎を信仰するカルト教団。
狂気に呑み込まれてしまえば、終わり。闇の底から這い寄る怪異に立ち向かう、ホラーサスペンス開幕。
Charactor
そねざきしんじ
オカルト専門のフリーライターをしつつ、本業として奇怪な事件を解決する「怪異の掃除人」。
たけだ かげきよ
曽根崎の事務所でアルバイトをしている大学三年生。助手というよりも、生活全般を世話している。
あそ ただすけ
警察官。曽根崎と協力して事件を解決することも。面倒見の良さゆえ、周囲に振り回されがち。
ふじた なおかず
阿蘇の幼馴染で、景清の叔父。爽やかなイケメンだが、 誰彼構わず口説いて回る性的人類愛者。
つきがみしゅう
怪しげなオカルト雑誌の編集者。曽根崎に記事の依頼や調査依頼を持ちかけてくる。
Read trial
「Case.1 渦を描く小指」を試し読み
怪異は、とっくに死んだものだと思っていた。
深夜二十四時を過ぎても光を放つ街には人の手が行き渡り、妖怪だの幽霊だのが入り込む余地を与えない。
時折インターネット上に流れる身の毛もよだつような物語だって、日々の喧騒に飛び込めばあっという間に頭の片隅に追いやられる程度のものだ。
僕の目に映る日常はいつも警察が神経を研ぎ澄ませて治安を維持し、アップデートされる法によって秩序を乱す悪が合理的に裁かれていた。
今にして思えば、あの頃の僕は安全というゆりかごでまどろむ赤ん坊も同然だったんだろう。けれどそれも、全てこの人に会うまでだった。
「曽根崎さん、来ましたよ」
大通りから一つ奥まった通りにある、三階建てのビル。その二階に居を構えた西日の刺さる事務所に僕─竹田景清は頭を突っ込んで、彼の名を呼んだ。
といっても返事なんて期待していない。あの人はそこまでできた人ではない。そういうわけで、僕は食材が入ったレジ袋を提げたまま早々にキッチンへ行くことにした。
デスクの周辺はとっ散らかっているが、この場所だけは僕の城だ。さて、今日は何を作ってやるか……。
「味噌汁」
ぬっと肩の辺りからもじゃもじゃ頭が出てきて、声を上げそうになった。なんとか飲み込み、背後に話しかける。
「びっくりしたー……。やめてくださいよソレ」
僕の言葉に小さく唸った長身の男の名は、曽根崎慎司。三十一歳独身。ボサボサの髪に酷いクマ、無精髭といったまあまあだらしない顔が、きっちり着こなしたスーツの上にのっかっている。睨むような鋭い目つきと、普段はオカルト専門のフリーライターを名乗っているのも、ほとばしる不審者感に拍車をかけているのかもしれない。
で、この人が、他でもない僕の雇い主である。僕は大学帰りに事務所に寄り、アルバイトとして食事や掃除など彼の身の回りの世話を請け負っていた。
「味噌汁が飲みたい。作れ」
「晩御飯まで待てませんか?」
「頼む」
「えー? もうしょうがないな……」
オッサンを引き連れたまま、鍋に水を張り火にかける。肩が重い。沸騰するまでの間に冷蔵庫を開け味噌を探す。肩が重い。粉末出汁は使いかけがあったはずだ。肩が重い。小口切りにしたネギも冷凍のものがあったっけ。肩が……。
……。
「邪魔!!」
「はぶっ!」
しつこく張りつく曽根崎さんに、僕は裏拳をくらわせた。崩れ落ちて悶絶しているが、知ったこっちゃない。僕は腰に手を当てて彼を見下ろした。
「ちゃんと作りますから、あっち行っててくださいよ」
「にしたって雇用主にする暴挙じゃないと思うんだが」
「狭いキッチンでついて回られるとシンプルに鬱陶しいんです」
「なんだと。給料下げるぞ」
「二度と来ませんよ」
「君の私物全部に油性ペンで名前書いてやる」
「もう帰りますね」
「……そんなことしたら誰が味噌汁を作るんだ!」
「はい僕の勝ち。あっち行っててください」
叱られた老犬のように肩を落として去る曽根崎さんに、僕はやれやれと頭を振った。よくもあれで三十一年間生きてこられたものである。あんな社会不適合者でも、職を得て食べていけてしまう世の中が憎らしい。
それでも味噌汁に罪はないので、できあがったものをお盆に載せてキッチンを出た。
「曽根崎さん、できましたよ」
「……」
「曽根崎さん?」
だけど彼の姿はなかった。トイレだろうか?
「ここだ」
違った、机の下にいた。ボサボサの黒髪が、まるで別の生き物のように揺れている。
「何してるんですか?」
「マッピングだ」
「マッピング?」
言われて覗き込んでみると、彼は引き伸ばした地図をレジャーシートのように敷いて座っていた。その地図の所々に、赤いバツ印が書き込まれている。
「なんですか、これ。一人暮らしの高齢者がいる場所リスト?」
「空き巣か、私は! 違う。説明してやるから味噌汁を寄越せ」
手渡してやると、曽根崎さんはぐいと一気飲みして手の甲で口を拭った。もっと味わえよ。麦茶か。
音を立ててお椀を床に置き、彼は手にした赤ペンでトントンと紙の端を叩く。
「これは、指リストだ」
「指リスト?」
聞き慣れない上に、どこか物騒な言葉である。怪訝な顔をする僕に、曽根崎さんは真面目な顔で続けた。
「ここ二ヶ月の間に、切断された指が立て続けに発見された。ある時は道の真ん中で、ある時は塀の上で、ある時は猫に咥えられて」
「えらいことじゃないですか。でもそんな事件、聞いたこともないですけど」
「そこだ。不可解な点があるため、あえて伏せられている」
「不可解? 犯人の目的がわからないとかですか?」
「それもあるが、もっと大きい謎が一つある」
曽根崎さんは仰々しくペンを回し、僕に突きつけた。
「─見つかった指は、全てDNAが一致していた」
「……は?」
地図に目を落とす。ざっと見ただけでも、赤いバツ印は十個以上あった。
「これ全部、同じ人のものだって言うんですか?」
「断言はできない。移植を受けたり、双子だったり、もしくは奇跡的な偶然だったりで同じDNAを持つことはある。だがこの数だ。異常と呼ぶには十分だろう」
「そりゃそうですよ……。常識的に考えてありえません」
「─例えば、誘拐された多胎児が指だけ切り落とされている。例えば、再生能力を持った人間が何らかの目的で自らの一部を捨てている。例えば、全身を無数の指で埋め尽くされた化け物が、人知れず街を闊歩している」
淡々と吐き気を催すようなたとえを述べる曽根崎さんに、僕は露骨に顔を歪めた。
「よくそんな想像ができますね」
「可能性の話だよ。そして一番目以外は、警察が対処できる代物じゃない」
彼は、赤いバツを指でなぞる。
「だから、私に依頼が来た」
曽根崎さんの鋭い目は、じっと地図を睨みつけていた。
「人知を超えた存在を掃除して、なかったことにする。それが〝怪異の掃除人〟たる私の仕事だからな」
─そう、それこそがまさしくこの人の本職。曽根崎さんは、普通の人では解決できない怪異を掃除することを生業としていた。
かといって霊能力なるものがあるわけではない。怪異現象の原因を理論的に追究し、解明し、対処する。それが彼のやり方である。だから僕は、抱いて当然の疑問をぶつけたのだ。
「本当に大丈夫なんです?」
「ふふん、私を誰だと思っている。今回もしっかり始末してやるよ」
「ちなみにどこからの依頼なんですか?」
「一応警察だよ。一応な」
含みのある言い方である。つまり、警察に頼んできた本当の依頼人がどこかにいるのだろう。この無駄な自信が、足を引っ張らなきゃいいんだけど。
「さて、そろそろ行くぞ、景清君」あれこれ心配していると、曽根崎さんに背中を叩かれた。
「私一人で調査していたら不審者通報されるのがオチだからな。ついてこい」
「いや僕関係ないじゃないですか。あと不審者の自覚あるなら、無精髭ぐらい剃ってくださいよ」
「謝礼は払う」
「……行きましょう」
「それでこそ景清君だ」
まあ、こちらも毎度お馴染みの流れである。出掛ける準備の前に、僕はお椀を片付けるためキッチンへと向かったのだった。
*
血のような夕焼けの赤が広がり、閑静な住宅街を照らしている。そこに背筋を伸ばして立つ曽根崎さんの顔も、同じく血の色だ。
「ここでどんな調査をするんですか?」
「調査、というよりは仮説の検証だな」曽根崎さんは、僕にごみステーションの陰に隠れるよう促しながら、左腕につけた腕時計を覗き込む。
「もうじきだ。景清君、私が合図したら目を閉じてその場から動くなよ」
「はい? なんでそんなことを……」
「シッ、静かにしろ」
若干理不尽で脈絡のない指示に、やむなく口を噤む。それでわかったのだけど、たくさんの人が暮らしているはずの住宅街は、なぜか今は不気味に静まり返っていた。
じっと神経を尖らせて、どれぐらい経っただろうか。ふと、僕は妙な音を耳にした。
─奇妙に規則性のある甲高い鳴き声。それが、紛れもなく地面の下から聞こえてくるのを。
全身が総毛立った。鳴き声は段々と僕らのほうに近づいてくる。誰かと談笑していたら気づかなかったかもしれないほど微かな音は、着実に、だけど間違いなく足の下を這い進んできていた。
突如、メリメリと視界の隅でアスファルトが盛り上がる。現れたのは、ヌラリと動く不自然な虹色の光沢。その正体を僕は無意識に直視しようとして─
「見るな!」
張り詰めた曽根崎さんの声に咄嗟に目を閉じた。─全身から汗が噴き出す。強い緊張に呼吸すらままならない。……なんだ? 何が起こっている? 僕は今、何を見ようとした?
あれは、一体何だ?
進化した脳に残った本能的な直感が今すぐここから離れろと警鐘を鳴らしている。油膜にも似た虹色の光が瞼の裏で蠢き嘲笑い、一方で脳は頑なに理解を拒む。あともう少し知ってしまえば、僕の信じる脆弱な現実は音を立てて崩れる気がした。
─ぽとりと小さなものが落ちる音と、誰かが息を吸い込む音。それで最後だった。
「……もういいぞ」
曽根崎さんの呼び掛けに、魔法が解けたみたいに僕は顔を上げた。……体が動くようになっている。呼吸を整えながら恐る恐る曽根崎さんを見ると、彼は若干青ざめた顔で電柱にもたれていた。
「検証終了。証明完了。ご苦労だったな、景清君」
「いや……いやいやいや、わけがわかりませんよ。なんですか? 何があったんです?」
「今私と君は、指を落とす怪異と遭遇していた」
「は……」
ゾクリと背筋が寒くなる。指を落とす怪異? どういうことだ?
「私は見た。怪異の正体は、人の指を無数に生やした漆黒の軟体生物だった。といっても、埋まっていたから全体像は見えなかったが」
「地面から出てきたあれが……そうだったんですか」
「ああ。あれは地中を掘ることで進んでいる。時折、息継ぎのために浮上しながらな」
曽根崎さんは体を折り曲げて何かを拾い上げる。息を呑んだ。彼の手にあったのは、生々しくちぎれた人間の指だった。
「地上に出たバケモノは、自らの指を一本ちぎったかと思うと大きく膨れ上がった」曽根崎さんの視線が、無残に割られた地面に向けられる。
「思うに、あれがバケモノなりの息継ぎなのだろう。私の知っているものとは随分違うが」
「で、でも、なんでこの場所で呼吸するってわかったんですか? 落ちてた指の位置ってバラバラでしたよね?」
「ところがそうでもないんだよ」
曽根崎さんがタブレット端末を取り出す。画面には、事務所でも見た指マッピングの図が表示されていた。
「ほら見ろ。指の出現した順に線で繋げてみると、一定の法則があるとわかる」
「あ……これってもしかして渦の形ですか? 外側からぐるぐると中心に向かって円を描くみたいな……」
「そう。で、我々が今いるのがここ」
曽根崎さんが現在地をタップすると赤い点が表示され、今まで指が出現したポイントと自動的に繋がった。既に渦の先端は、かなり中心に近づいている。
「本当の依頼人は、ここにいる」
細長い人差し指が示した渦の中心の建物には、幸山バイオ研究所と記されていた。
「おおかた、少しずつ自分に近づいてくる何かに恐れをなして警察に連絡したんだろう。身分を隠すということは、何か後ろ暗い事情があるのかもしれん」
ごくりと唾を飲み込む。曽根崎さんの言葉に、僕はある恐ろしい想像をしていた。
─じわじわと、渦の巻く幅を狭めながら近づいてくる怪異。直進でもなく、障害物を避けるわけでもなく、わざわざ綺麗な渦を描きながら指を落とし街の下を這い進む指だらけの軟体生物。
この怪異は、〝目的地にいる誰か〟にあえて自分の存在を気づかせようとしているんじゃないか?
「直接話を聞きに行くぞ」
曽根崎さんは、妖しく口角を上げていた。
「まずは拝んでやるとしよう。渦の中心に立てこもり、謎の怪異に怯える依頼人の顔をな」