その日、グランシャール王城では盛大なパーティが開催されていた。
世界の脅威――魔王を無事に打破し、平和が戻ったことを祝う宴である。
王族や名のある貴族が数多く詰めかけて、会場はのどかな笑い声に包まれていた。
余興として行われた魔物使いによる魔物ショーも大いに盛り上がった。
だがしかし……その晴れやかな空気は突如として一変する。
「ふざけんじゃねえ!」
「ぐがっっ?」
最初は鈍い音。それに続いてくぐもった悲鳴が上がった。
テーブルが横倒しになり、皿やグラスの破片があたりに散らばる。
「きゃああ? 大変よ! ヒューゲル将軍が殴られたわ……?」
「者ども出あえ! 賢者カイン様がご乱心だ!」
真っ青な顔をしたご婦人たちの間を、衛兵たちが槍を手にして慌ただしくすり抜けていく。
祝いの場から一転、空気が痛いほどに張り詰める。
全員の注目を集めるのは、ひとりの男だ。
「ああ……? 見せ物じゃねえぞ、ゴルァ!」
男は怒声を飛ばし、鋭くあたりを睥睨する。
上等なローブをまとった二十代半ばの青年である。一目でわかるような魔法使い然とした出で立ちで、その胸には真新しい勲章が飾られていた。
顔立ちはそこそこ整った方。
だがしかし乱雑に伸ばした黒髪と、顔に刻まれた大きな傷……そしてやたらと剣呑な黒の双眸が、彼のまとう空気をひどく刺々しいものにまとめていた。
名を、カイン・レッドラム。
この祝宴の主役であった。
「く、くそ! よくもやったな……!」
そんな彼と対峙するのは大柄な男だ。
年の頃は四十半ば。礼服の上からでもよくわかる鍛えられた体つき。
この国でも有力貴族として名高いヒューゲル将軍だ。彼は壁を背にしてよろよろと立ち上がり、鼻から垂れた血を乱雑に拭う。その頬は赤く腫は れていた。
「この私を誰だと心得る! グランシャール王国軍部幹部にして、トランヴァニア公爵家の三男だ! この私への侮辱は、国への侮辱に等しいと知ってのことか!」
「はっ、そいつはご大層なことだな」
目を吊り上げて吼える相手に、カインは飄々と肩をすくめてみせる。
「だが……国を背負って立つ軍人様にしちゃ、ずいぶんと柔じゃねえか。こんな若造に手も足も出ないなんて、デスクワークで体が鈍ったか?」
「こっ、この無礼者めが……!」
ヒューゲルはカインを睨みつけながら、腰の剣を抜き放つ。
周囲から悲鳴や制止の声が上がるものの、一息に距離を詰め、横薙に刃を振るう。
「目にものを見せてやる! 覚悟するがいい!」
鋭い剣圧がカインを襲い――彼はニタリと笑った。
「甘いなぁ!」
「がはっ……?」
カインが放ったのはデコピン一発。
たったそれだけでヒューゲルの巨体は紙屑のように吹っ飛んで、再度壁へと叩き付けられた。
客たちの間からさならるどよめきが上がり、ショーに出ていた魔物たちが吠え立てる。
「あ、あれが魔王を倒した賢者殿の実力か……!」
「あのヒューゲル将軍が、まるで歯が立たないなんて!」
兵士らも手出しできず、呆然と見守ることしかできずにいた。
そんな中、カインは悠々とした足取りで倒れたヒューゲルのもとまで向かう。
「ご婦人方も多いことだし、今日はこの辺にしといてやらァ。ただし……」
カインは目の前で腰をかがめてヒューゲルの顔を覗き込む。
至近距離で睨みを利かせ、地の底から響くような声で告げることには――。
「いいか、今度また俺様にそんな話を持ちかけてみやがれ。そのツラをさらに原形とどめないくらいのボコボコにしてやるからな。覚悟しとけや、将軍様よ」
「くっ……このままで済むと思うなよ! 賢者カイン!」
ヒューゲルは顔を歪ゆ がめ、カインに人差し指を突きつける。
「これだけの騒ぎを起こしては、いくら魔王を討った貴様だろうと厳罰は免がれまい! その勲章もじきに剥奪され――」
「ええい、ゴチャゴチャとやかましい! こんなものが欲しいなら……くれてやらァ!」
「げぶっ……?」
カインは胸についた勲章を引きちぎり、ヒューゲルの顔へと全力で投げつけた。
あたりはさらに騒然として、魔物たちも落ち着きをなくしていく。
そんな場をカインはぐるりと見回した。
「いいか、てめえらもよーく聞いておけ。俺様はこんなチンケな勲章のために魔王を討ったわけじゃねえ。俺様が本当に欲しかった物はだなァ……」
そこでカインは堂々と言い放った――のだが興奮した魔物たちの鳴き声が、彼のセリフの一部にちょうど上手い具合に重なった。
「この国【※※※!】と【###!】金と……リリア姫【◆◆◆!】だァ!」
しーーーーん。
彼の宣言は会場のすみずみにまで響き渡り、あたりは完全なる静寂に包まれた。
やがて人々がヒソヒソと口にすることには――。
「クズだわ……」
「クズだな……」
「クズ賢者だ……」
このことがきっかけとなり、カインは将軍をぶん殴ったばかりでなく、国家を強請ったクズ賢者として名を轟かせ、国外追放を受ける羽目となる。
それが完全なる誤解であったことは、このときごく少数の者しか知らなかった。